小浜の鯖を京都へ運んだ鯖街道90kmのことはご存知だと思いますが、備中にもかつて魚を運ぶ道が有りました。
 
 明治時代、銅とベンガラ景気で湧く吹屋銅山の宴で最高のご馳走は海の魚、いわゆる「とと」でした。銅山の関係者は新鮮な鰆(さわら)や鰤(ぶり)を切望しました。その願いを「魚仲仕(うおなかせ)」と呼ばれる屈強な運送人たちがかなえました。彼らは笠岡の西浜(ようすな・金浦)の港から吹屋銅山まで60kmにわたって続いていた「とと道」を舞台に、40kgもの鮮魚を駅伝方式で12時間かけて運び続けたのです。
 
 昭和に入り、急激なモータリゼーションの進展で「とと道」は忘れ去られ、巾一間(2m弱)ほどの道は草木に覆われ一体どこを通る、どんな道だったのかも分からなくなってしまいました。
 1992年、『高梁川流域の自然』第3号に「トト(魚)道」と題した小説風記事(宮本邦男氏筆)が掲載され多くの方の関心を呼びました。以来、私たちは先行研究者の成果を調べ、旧道を歩き、関係者から聞き取り調査をし、深い薮を漕ぎ、長年にわたって調査を続けて参りました。その結果、2017年2月、小さな石の道標の発見をきっかけにとと道が再び姿を見せることになりました。2019年末には全コースが一本の道としてつながり、ガイドブックにその詳細をまとめることができました。
 
 これを受けて、私たちは笠岡市金浦から始まる海からの道、大井地区から笠岡古代の丘に至る古い道、矢掛の里山の道。美星の吉備高原の道、成羽からの奥山の道をできるだけ多くの方に歩いていただこうと、2018年1月以来「一般公開ウォーク」なるイベントを開催してきました。既に6回実施、160名を越える方に参加いただいております。
 
 コロナ禍によりこの春のイベントは中止の止むなきに至りましたが、コロナ禍後の活発な活動を期待して、推進組織の拡充に努め「備中とと道トレイル推進協議会」の会員を募集(現在130名)、合わせて広くとと道情報を提供するためにこのホームページを開設することにいたしました。
 
 私たちは「歩くことを通して高梁川流域の自然の素晴らしさや歴史・文化・産業などを学び体験する風土ツーリズムを促進する」ことを継承してゆく決意を新たにしております。皆様からも情報をいただき、お役に立つ情報発信を進めてゆきたいと思います。どうか今後のご支援よろしくお願いいたします。
 

備中とと道トレイル推進協議会
代表 森山 上志
2021年春